Yahooに創価学会に関する記事が載っていた。
なんでも最近の創価学会の布教活動はソフトになっているが、
一方で勢いもなくなりつつあるということだ。
オレは創価学会について、よく知っているわけではない。
電車の吊り広告でたまに見かけるなぁ、ということと、
聖教新聞という新聞があることは知っている。
あとは公明党の母体だね。これが一番有名か。
そういえば、昔住んでいた団地の下の階に、
創価学会の会員がいた。
最初は悪い人ではなさそうだったのだが、
そこに引っ越してきてから最初の選挙の時に、
公明党への投票依頼に来た。
あ、創価学会だったんだ。
「僕は公明党を支持してないので」と断ったら、
いかに公明党が実績を持っているかということを説明し始めたので、
半ば強引に引き取ってもらった。
それでもその後何回か来た。
しまいに中学生ぐらいの自分の息子を連れてきた。
めんどくさいパターンだ。
この分だと周りにも創価学会の会員が結構いそうだなと思ったのを
覚えている。
創価学会のなんたるかを知っているわけではないが、
オレ自身は宗教学校出身なので、
一般の人に比べれば宗教に詳しい。
学校というのは、宗教思想を叩き込むという面では、非常に効率がいい。
若い人ほど社会を知らないので、洗脳しやすいからね。
ここでいう「洗脳」は良い意味でも悪い意味でもない。
人は社会に生きる以上、なんらかの洗脳を受けている。
少なくともオレはそう思っている。
例えば、一夫多妻は破廉恥であるというのが日本では当たり前だが、
一夫多妻制が当たり前の国では、それが悪であるとかそういった概念はないだろう。
こういうのも含めてある意味洗脳だと思う。
大なり小なり、会社は社員を洗脳しているものだし、
「この会社には皆さんにとっての生きがいがあります」なんつって、
新入社員が目を輝かせている、というのが典型的な洗脳だ。
洗脳を優しく言うと、文化だ。
企業文化という名の下に洗脳は行われる。
そうでないと、規模の大きい会社は強い推進力を得られないのだ。
ただ、だからと言って、そうした洗脳行為を批判するつもりはない。
先ほどから言っているように、洗脳そのものに善悪はないとオレは考えている。
もちろん人を都合のいいようにコントロールして違法行為をするのであれば、それは悪だろう。
しかし、洗脳対象がそこに染まるかどうかを選択する自由があるなら、
まぁいいんじゃないの?と思う。
洗脳されている状態のほうがラクなこともあるからね。
なんか取りとめのない話になってしまった。
でもこういうネタはまた取り上げたい。