富豪的プログラミングは死語か

富豪的プログラミングという言葉を最初に知ったのは、10年以上前だ。

簡単に言えば、
それまでコンピュータ資源を効率良く使うことが重要課題だったプログラミングを変え、
効率よりも、コードの見やすさ、メンテナンスのしやすさ、ユーザーの使い勝手を優先させるということだ。

10年以上前ですら、こんなことが言われていたのだから、
今はこんなことはほぼ当たり前になりつつある。

プログラミング言語の進化により、
プログラマがメモリ管理を意識することはほとんどなくなった。

もちろん、実装の仕方によっては、
超メモリ効率の悪いクラスを作ることはできる。

しかし、今は実行速度を優先してメモリ効率には目をつむる、
あるいはそんなことを考えていないことも多い。

ただ、おそらく今でも組み込み系のソフトウェア開発の現場では、
メモリ効率をかなり意識したプログラミングをしているのかも知れない。

オレ自身は組み込み系の開発現場を経験したことはないが、
そこで働く人と話をしたことはある。

「C++なんていうメモリをバカ食いする言語はとても使えない。」

という言葉が今でも頭に残っている。
現在のプログラミング言語全体から見れば、C++は意識的にメモリを節約できる部類の言語だ。
ただし、STLなんかを使わない限り、メモリ管理はかなり煩雑になりがちだ。

ガーベッジコレクションが当たり前となり、
かつ富豪的プログラミングが当たり前となった現在、
メモリはまるで無尽蔵にあるかのごとくプログラミングが行なわれている。

富豪的プログラミングは死語になったかも知れないが、
だからといってメモリの節約を全く意識しなくていいわけではないだろう。

Chatworkがデスクトップアプリ出したというのでダウンロードしてみた

今日、チャットワークからメールが届き、
デスクトップアプリを出したから、使ってねと。

なんでも、いちいちブラウザ起動して、
チャットワークにアクセスしなくてもすぐに使えるようになるよと。

そらそうだ。

仕事で使っているので、早速ダウンロードしてみた。
ダウンロードしたのはMac版だ。
解凍するとそのまんまアプリケーションになるタイプ。

起動してみると、
なんかいつもと同じようなログイン画面が。
嫌な予感がよぎる。

ログイン。

はい、やっぱりね。
正直こんなんいらんわ。

少なくともMac版デスクトップアプリの正体は、
Chatwork.comにアクセスできるだけのブラウザ
だった。

それ以上でもそれ以下でもない。
よくまぁ、こんなものをデスクトップ版アプリです、なんつって出せるなぁ。
おそらく自動更新機能すらないんじゃなかろうか。

日本の企業が作るアプリってこの程度のものが多いよなぁ。
Slackが日本語対応して、チャットワークっぽい使い方もできるようになれば最強なんだがなぁ。

お受験か公立か。

京都もほぼ全域で桜が満開模様となった。
春だなぁ。

春といえば、入学シーズン。
娘も年中になり、来年はいよいよお受験の年となった。

お受験、つまり小学校受験。
巷では賛否両論の議論が交わされるが、
ウチにとっては世間の考えなどどうでもいい。

私立の難関小学校に行くにしても、
公立の小学校に行くにしても、
いずれにもメリット・デメリットはある。

あとは、子供にどうなって欲しいか。
あるいはどんな選択肢を与えたいと思うか。

オレ自身はベタに公立の小学校に通い、
幼稚園はもとより小学校で自ら勉強したことはほぼなかった。
自慢ではない。
中高は全寮制で勉学時間が決まっていたので机に向かってはいたが、
おせじにも集中力があったとは言い難い。
勉強の習慣がなかった子供が中高でいきなり勉強するようになるのは至難の業だ。
それでも何とかかんとか国立の大学に入り、卒業した。

両親が高卒だったこともあり、
大学に行く意味や、勉強することの意味を
教えられたことはなかった。
あまりにも無知だった。

娘は1年ほど前からある程度勉強らしきものをさせ始めている。

今では、もう寝なさいと言っているのに、
「勉強する」と言ってきかないこともあるが、
最初はやはり大変だ。

なぜ、そうまでして小さい頃から勉強をするのかと言えば、
勉強は努力してするようなものではなく、
空気を吸うようにするもの(して当たり前のもの)という感覚を身につけさせるためだ。
そして、そこで培われる集中力が今後の役に立つ。

もちろん、これにもデメリットはあるが、
これは取捨選択の問題だ。

ただ、我々社会人にとって、新しいことを学ぶということは
それこそ空気を吸うように当たり前にすることだ。
そうでないという人はおそらく向上することはない。

そもそも、
学ぶということは、本来楽しいことだ。

IT業界に長く身を置いていると、
新しい技術が出れば自然と興味が湧くものだし、
実戦で使うことはなくともとりあえず概要だけでも学んでおくものだ。
そこに努力などという言葉はそぐわない。

メシが出てきたから食う。
喉が渇いたから水を飲む。
トイレに行きたくなったから行く。

そういう感覚。

それを小さいうちに身につけてしまえば、
世間が受験戦争だの何だの言っていようが、
本人はいたって普通に、努力している感覚もなくやってのけるだろう。

そもそも大学受験で合格することはゴールではない。
むしろスタートだ。
社会人に向かうためのスタートだ。

なので、勉強に努力するような人間には育って欲しくない。
というのがウチの方針だ。

勉強なんてして当たり前。
それよりも自分がどうなりたいのかを自分で選択できるようになることのほうがよっぽど大事。

そして、自分がどこかへ向かおうとした時、
必ず学ぶべきことが目の前に現れる。
しかしそこに苦労を感じることはないだろう。

娘には、学ぶことよりももっと別のところでチャレンジする人生を送ってもらいたい。
小さいうちから学ぶ心と集中力を養うことは親である我々がある程度レールを敷く。
しかし、その先は本人の自由だ。アドバイスはするが、選択は本人がすることになる。

そういう状態を実現するためにウチではお受験をする。

民進・山尾政調会長のガソリンプリカ購入問題に見るネタの貯蓄疑惑

2万円ガソリンプリカ購入「年に105回」 民進・山尾政調会長に不可解な金の流れ

本日のYahooの記事で出ていたタイトルだ。
普通に考えてまぁアウトなんだろう。

そもそもすぐ側にスタンドがあるのに大量にプリペイドカード買う必要あるのか。
まぁ、秘書とかがスタンド行った時にいちいち領収書切って
精算処理するのが面倒という言い訳は十分成り立つけど、
1日に5回も買ったらおかしいのは明白。

ま、しばらくこのことは追求されて、
また無駄な議題に税金を投入して国会の時間を使うことになるんだろう。

それはそうと、
このネタが出版された時期というのが、山尾氏の政調会長就任直後ということが興味を引く。

タイミング良すぎるよねと。
ちょくちょくこういう、タイミングのいいスキャンダルはあるんだけどさ。

考えられるのは、
自民党に調査部みたいのがあって、
普段から他の政党の議員のネタを集めて、いざという時に使えるようにストックしている可能性。
使う時は、懇意にしている週刊誌の記者にリークすることになるんだろう。

もう一つが、週刊誌。
一般には知名度が低いためにすぐには使えないが、
使えるタイミングを待ってネタをストックしている可能性。

どちらもありそうな話だ。
これだけタイミング良くネタが披露されたわけだから、
このどちらかだと思うのはオレだけ?

薬は毒というがバランスの問題

昨日から風邪。
今日も午後はずっと寝ていて、少し良くなった。

個人的にはできるだけ薬には頼らないようにしたいと思っている。
全く飲まないわけではないけど、薬って飲むリスクもあるよな、と思う。

もちろん、昔はそんなことは考えたことはなく、普通に服用していた。
ちょっと風邪ひいては薬を飲む。
そんな一般的な服薬人生。

ここからの話は全く医学的な見地とかそういったものは含まれないが、
個人的な感覚で話したい。

最近、風邪をひいてもほとんど熱が出ない。
娘は風邪をひくとすごく熱が出る。
これは一体どういうことなのか?

体にウィルスが入ると、抵抗するために熱が出るのは体の自然な反応だ。
でも、普段から薬を使うようになると、体が薬に依存するようになるという話を聞いたことがある。

だから、熱が出なくなったのではないか、などと最近は考えている。
それとも年をとると熱が出なくなるのかも知れないけど、
一般的に服薬が当たり前の世の中だからそうなっているだけかも。

なんか、熱が出ないって自然じゃないよなぁ。
ということで、できるだけ薬を飲まないようにしている。

世の中には、一切医者にかからず、薬も飲まないという人がいる。
宗教上の理由で輸血はしないなんてのもある。

でもね〜、こういうのってバランスだと思うんだよね。
基本的に西洋医学の薬は対症療法なので、
根本的な解決ができるものではない。
結局治癒をするのは、本人の体だよね。

でも、対症療法が有効な場合もある。
例えば、アレルギーのショック状態とかで今にも死にそうな場合とかに、
「いや、オレは薬は飲まないんだ」
なんて言ってられないでしょ。
輸血もそう。

明日は絶対に休めない、
とかそういう理由の場合もある。

普段の生活でも、
長期的に考えるとやらないほうがいいことでも、
緊急時にはやるべきことはある。

暴力は絶対に反対でも、
もし自分の子どもが襲われてたら、そんなこと言ってられない。
どんなことをしても撃退しようとするでしょ。

薬もそれと同じじゃないかと思う。
そういう意味で、対症療法として扱う分には薬の存在意義は高いと思う。