お受験か公立か。

京都もほぼ全域で桜が満開模様となった。
春だなぁ。

春といえば、入学シーズン。
娘も年中になり、来年はいよいよお受験の年となった。

お受験、つまり小学校受験。
巷では賛否両論の議論が交わされるが、
ウチにとっては世間の考えなどどうでもいい。

私立の難関小学校に行くにしても、
公立の小学校に行くにしても、
いずれにもメリット・デメリットはある。

あとは、子供にどうなって欲しいか。
あるいはどんな選択肢を与えたいと思うか。

オレ自身はベタに公立の小学校に通い、
幼稚園はもとより小学校で自ら勉強したことはほぼなかった。
自慢ではない。
中高は全寮制で勉学時間が決まっていたので机に向かってはいたが、
おせじにも集中力があったとは言い難い。
勉強の習慣がなかった子供が中高でいきなり勉強するようになるのは至難の業だ。
それでも何とかかんとか国立の大学に入り、卒業した。

両親が高卒だったこともあり、
大学に行く意味や、勉強することの意味を
教えられたことはなかった。
あまりにも無知だった。

娘は1年ほど前からある程度勉強らしきものをさせ始めている。

今では、もう寝なさいと言っているのに、
「勉強する」と言ってきかないこともあるが、
最初はやはり大変だ。

なぜ、そうまでして小さい頃から勉強をするのかと言えば、
勉強は努力してするようなものではなく、
空気を吸うようにするもの(して当たり前のもの)という感覚を身につけさせるためだ。
そして、そこで培われる集中力が今後の役に立つ。

もちろん、これにもデメリットはあるが、
これは取捨選択の問題だ。

ただ、我々社会人にとって、新しいことを学ぶということは
それこそ空気を吸うように当たり前にすることだ。
そうでないという人はおそらく向上することはない。

そもそも、
学ぶということは、本来楽しいことだ。

IT業界に長く身を置いていると、
新しい技術が出れば自然と興味が湧くものだし、
実戦で使うことはなくともとりあえず概要だけでも学んでおくものだ。
そこに努力などという言葉はそぐわない。

メシが出てきたから食う。
喉が渇いたから水を飲む。
トイレに行きたくなったから行く。

そういう感覚。

それを小さいうちに身につけてしまえば、
世間が受験戦争だの何だの言っていようが、
本人はいたって普通に、努力している感覚もなくやってのけるだろう。

そもそも大学受験で合格することはゴールではない。
むしろスタートだ。
社会人に向かうためのスタートだ。

なので、勉強に努力するような人間には育って欲しくない。
というのがウチの方針だ。

勉強なんてして当たり前。
それよりも自分がどうなりたいのかを自分で選択できるようになることのほうがよっぽど大事。

そして、自分がどこかへ向かおうとした時、
必ず学ぶべきことが目の前に現れる。
しかしそこに苦労を感じることはないだろう。

娘には、学ぶことよりももっと別のところでチャレンジする人生を送ってもらいたい。
小さいうちから学ぶ心と集中力を養うことは親である我々がある程度レールを敷く。
しかし、その先は本人の自由だ。アドバイスはするが、選択は本人がすることになる。

そういう状態を実現するためにウチではお受験をする。